[立野窯日記]2010年8月

中野純ウェブサイトは、LinkIconhttp://www.junnakano.com/へ移転しました。
このtatenogama.comのアドレスはアーカイブとして当面残してあるものです。

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2010/08/30(月) 作業日誌。


酒盃を挽いています。
今日は松灰釉用に、鉄分の多めの土の配合です。
明日はその高台削り&文様の彫り込みと、楢灰釉用の酒盃の水挽き。
明後日は藍灰釉用の酒盃の水挽き。

あと、茶碗と茶入れと、黒陶のロックグラスと酒盃と掛花入の制作を来週までに終えたら
再来週からいよいよ釉掛け&本焼きのサイクルに入ります。
来週には神戸展のDMも刷り上がってくる予定。



このところ、やけにいろんなお誘いがあります(笑)。
でもこの通り制作に打ち込んでいるので無理ですから!
「たまには息抜きもしないと」とみなさん言って下さるのですが
「たまには」ばっかりになったら仕事になりませんから!

まあこんなことを言っていると
「中野って一見人当たりいいけど実は偏屈だよねえ」と言われてしまいます(友人談)。
ありがたいことに「ソフト偏屈」の称号?をいただきました(笑)。


2010/08/28(土) 14年目のセレモニー。


毎年行っている中高時代の親友のお墓参りに、今年も行ってきました。
親友のお母さんと妹さん夫婦とその娘さんと、もう一人いつも一緒に行っている友人と、
6人でお昼ご飯を食べてからお墓参りに行くのが毎年恒例のスケジュール。

お母さんは何度も何度も「いつも忙しいのにありがとう」と言ってすごく喜んでくれて
フルコースの高そうなご飯屋さんに連れて行ってくれるのでいつも申し訳ないと思うのだけど
息子のように大事に思ってくれているのが伝わってくるので
亡くなった親友の何千分の一、何万分の一かでもいい、親孝行のまねごとでもいい、
一年に一度だけだけれど、顔を見せに里帰りするような、そんな感覚なのです。

そして、ぼく自身にとっても
亡き親友との無言の対話は、自分を振り返る、年に一度の大事な儀式。
無為に日を過ごしていないか、
大切なことを忘れていないか、
ちゃんと自分を生ききっているか。
……全然できてないなーと思うことばかりですが。

お母さんは「忙しいのに大丈夫?無理しないでね」と言ってくれますが
どんなに忙しくても欠かせないスケジュール。
まあ人生の時間割に書いてあるみたいなもんですね(笑)。




そして夕方工房に戻ってから、友人が来てくれて岡山展のDMの再撮影。
明け方4時までかけてじっくり取り組みました。


2010/08/27(金) 「田中一村展」 & 映画「カラフル」


今日は母の白内障と緑内障の手術があって東京まで行ってきました。
初めての眼の手術ということで心身ともに緊張して疲れが出た前回に比べ、
今回はリラックスして受けられたようで
終わった後も普通に起きて昼食をとり、しばらく話をしていました。
なにかと雑用に追われる日常から離れて、楽しむ余裕も出てきたようです(笑)。



夕方、病院出てから友人と待ち合わせて
「田中一村展」@千葉市美術館と映画「カラフル」by 原恵一監督をハシゴ。

田中一村は東京美術学校で東山魁夷と同期(ただし2ヶ月で退学したらしい)、
若い頃は南画風の画家として人気を博したそうですが
途中、「これが自分の道」と選んだ画風の変化が理解されず、それまでの支援者が皆離れていって
以降は別の仕事で生活費を稼ぎながらの苦しい生活だったようです。
日展や院展に出品するものの落選が続き、
子供の頃から神童ともて囃され、一時は売れっ子画家として名声を博した彼が
自負と挫折感の中で苦悩したであろうことは想像に難くありません。

50歳の時に奄美大島に移って染色工として働きながら絵を描き続け69歳で死去。
中央画壇には認められぬまま、無名に近い存在で、最期まで個展も実現しなかったとのこと。
なんとなくその在り方がゴーギャンに重なります。

ただ、子供の頃の絵に「十三歳 米邨」といちいち年齢を書いていて
その過剰な自意識がちょっといただけなかったり
若い頃の絵の筆運びを見ているとけっこう雑だったり
作品によって善し悪しが極端だったり
うーんと思うこともしばしばでした(あくまでぼくの主観ですが)。

でも、奄美に移ってからの大作は素晴らしかったです。
画面いっぱいに構成された墨の線と色鮮やかな彩色は独自の境地を描き出していて
きっとそれまでの絵はここに辿り着くまでの助走だったんだな、
そう思えました。

あと驚いたのが、30歳から50歳まで、田中一村は千葉市に住んでいたということ。
全然知らなかった。



開館15周年記念 特別展 「田中一村 新たなる全貌」
 会期/2010年8月21日(土)~9月26日(日)
 会場/千葉市美術館



そのあとに観た映画「カラフル」は敬愛する原恵一監督の最新作。
日常のささやかな一コマや人物の細やかな心の動きを丁寧に描写して
ぶれることなく誠実に作品作りを続けている、大好きな監督です。
これまでの代表作は「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!大人帝国の逆襲」
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」「河童のクゥと夏休み」
今回の映画はまだ始まったばかりなので、ネタバレをしないように感想は控えます。
おススメです!

映画「カラフル」公式サイト



2010/08/25(水) 重力/遠心力との闘い。

ロクロは、遠心力を味方につけて
重力に立ち向かう作業だ。

足で蹴ってロクロを廻し、
手を使って粘土にうまく力と方向を与えてやることで
遠心力を、上へ向けてするすると伸ばしていくベクトルへと転化する。
ロクロは本当にうまくできている。

英語ではwheel。
wheel、つまり車輪はメソポタミア文明時代に発明されたという。
古代の最重要な発明のひとつで、
車輪が生まれたからこそ、馬車もでき、迅速な移動のために道路整備も進んだわけだ。
「すべての道はローマに通ず」という格言も車輪あればこそ。
車輪の出現で、軍事的にも古代の勢力図は劇的に塗り替えられたことだろう。

ロクロもまた、そんなwheelの発明の恩恵。
古代からこうして現代に至るまで、このシンプルな道具は連綿と続いてきたわけで
自分が今向かい合っているこのロクロも、ルーツははるか古代につながっているんだなあ、
そんなことを思いながらロクロを廻す。


大皿などを挽いていると、
へたりそうでへたらない、そのギリギリのところの緊張感が何ともいえない形を生む。
粘土の固さ、粘土の性質によってもへたりやすさ、へたりにくさは変わってくる。
その上で、手の感触だけを感じながら、物理的に成立するギリギリの線を狙っていく。
もたもたしているとどんどん水が回って腰がなくなり、余計にへたりやすくなる。
へたりにくくするためには粘土は固めの方がいいけれど、
固すぎると土殺しだけで苦労して、細かい粒子分がどんどん抜けていってしまう。
いろいろな相反する条件の中で、一番理にかなったところで
粘土の声を聴きながら挽いていく。

一定のスピードで回り続ける電動ロクロと違って
最後、もうひと当てしたいと思って軽くポンとロクロを蹴って
新たに生まれたその遠心力のせいで、一気にへたることもある。
いわば、重力に対抗するための味方であったはずの遠心力が、急に敵に回る瞬間。

粘土と重力、遠心力の間の物理的な調和が崩れるか,否か。
このギリギリの緊張感が、しんどいけれどもここちよい。

たとえばルーシー・リーさんの作品のフォルムの美しさは
この緊張感のなせる技なのだと思う。


2010/08/22(日) 「どう作るのかではなく、なぜ作るのか」


考え事をするのが好きだ。

まあ実際には考え事というよりはぼんやり物思いにふける、というくらいなのだけれど
ぼくにとって、作品作りに占めるウェートとしては
実際に手を動かす作業と同じくらいの重要度がある。
費やす時間はもちろん手を動している時間の方がずっと多い(というかほとんど)だけれども
ロクロを蹴りながら、
コリコリと彫り込み作業をしながら
蝉の鳴く声にふと耳をやりながら
山仕事をしながら
窓越しに満月を見上げながら
本を読みながら
いろいろなことを考える。


「どう作るのかではなく、なぜ作るのか」
ハンス・コパーは講師として招かれた英国王立芸術院で、
生徒に向けて何度も繰り返しこう問いかけたそうだ。


なぜ作るのか。

作ったものに何の価値があるのか。

そもそも、その作っている主体である自分は何なのか。

作ったものにどんな意味があるのか。

その疑問は常に心の奥底に漂っている。
でも作らずにはいられない。

よくわからないことだらけだ。
わからないながらも
答えを求めながら手を動かしながら
もの作りをするのが、自分の進み方なんだろうと思う。
時にはわからないからいいんだ、とうそぶいてみたりもする。




クリエイティブディレクター、箭内道彦さんの本に

『「流される」から遠くに行ける』

という一文があって、本当にその通りだと思う。
ぼく自身、流されてるなあ、といつも思う(笑)。
でも港にしがみついているより、ずっと面白い。
明日どうなるかわからないけれども(笑)。


2010/08/21(土) 携帯の電波が入りません。

docomoユーザーなのですが、いまだにmovaを使っています。

工房のあたりFOMAが入らないので、仕方なくずっと使い続けているんですが
最近、このmovaの電波の入りも前に比べると悪くなりました。
前は3回に2回くらい着信できていたのが
今は3回に2回は着信できなくなりました。メールもそう。
これはFOMAへ移行させるための策略か!?(苦笑)

だったらFOMAの電波状況をよくしてほしいものです。
入ったり入らなかったり不安定なのは一番始末に負えません。
いっそauに変えちゃおうかな。いやここはiPhone4かやっぱり。


ともかくそんなわけですので
携帯宛のメールなども気づかずに数日放置されていることも時々ありますが
どうかご容赦のほど。
かえってパソコン宛のほうがチェックしているかもしれません
(こちらもこまめではないですが)。


2010/08/17(火) 神戸展DM打ち合わせ&ハンス・コパー展


今日はデザイナーさんとの神戸展のDM打ち合わせのために
ひさしぶりに東京へ出掛けてきました。

と、東京は暑いですねえ。
ふだん工房では上半身は何も着ないで(笑)作業しているので
そよ風でもそれなりに涼しく感じられるし
どうしても暑ければ水を頭から被ったりすれば体内に溜まった熱を下げられるんですが
出掛けている時はそういうわけにもいかないですからね。
汗をかいても着替えることができないのは、田舎ぐらしに慣れた身にはなかなかつらいです。



打ち合わせ終了後、
前から見たいと思っていた「ハンス・コパー展」を見に汐留の松下電工ミュージアムへ。

日本ではルーシー・リーの“ついで”みたいに語られがちだったハンス・コパーの作品、
前からずっと見たかったのですが、今日やっと会うことができました。

抑制の利いた独特なフォルムとマットな質感がとてもよかった。
キクラデス・フォームが思ったよりずっと小さかったのにもビックリ。
最近のアートは大作主義になりがちですが
作家、作品それぞれに合うサイズというのがあるよなーと再認識。
力のある作品には、小さくても大きな存在感があるんです。

会場で年表を読んでみると
ハンス・コパーは、16歳の時に父を自殺で失い、19歳で母とも生き別れ、
21〜23まで兵役で体を痛め、55歳で筋萎縮性側索硬化症という難病を発症、61歳で死去。
苦難の多い人生だったようです。

会場で流されていた紹介ビデオを見ると
寡黙で一見取っ付きにくいが、
親しくなってくるととてもきちんと話を聞いてくれて丁寧に話してくれる人だった、と
インタビュアーの人が言っていました。
書き溜めていた文章も、亡くなる前に自分で燃やしてしまったとか。
作家としても饒舌さを嫌っていたのでしょうか。
自分の在り方にもきっと確固とした信念があったんでしょうね。
(でも正直に言えば読んでみたかったですが)

もっと長生きしてどんな作品を作るか見たかった…。


作品数は多くないですが、ルーシー・リーさんとはまた違ったオリジナルな造形世界です。
おススメです!


[ハンス・コパー展〜20世紀陶芸の革新]

 開館期間:2010年6月26日(土)~2010年9月5日(日)
 開館時間:10:00より18:00まで(ご入館は17:30まで)
 休館日:月曜日[7月19日、8月9日は開館]、8月12日(木)~8月16日(月)
 入館料:一般500円(65歳以上400円)/大学・高校生300円/中・小学生200円

http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exhibition/10/100626/index.html



2010/08/15(日) 岡山展DM打ち合わせ


先週の土曜日に岡山展DM用のカットを撮影してくれたUくんから
レイアウト案がメールで届き、それを見ながらスカイプをつないで1時間ほど打ち合わせ。
ぼくはスカイプはあまりわからないのですが
Uくんがチャット機能を利用して要所要所を議事録として残してくれるので
とても助かります。
背景紙の色見本もネットから引っ張ってきてアドレスを教えてもらって
ブラウザでをそれを見ながらどの色がいいだろうと話し合い、
じゃあこの色にしようというものをネットで注文して再撮影することにしました。
田舎に居るほど、現在の通信技術の発達の恩恵を受けられます。
スカイプはこんなに便利なのに通信料も無料。不思議です。



今度の岡山展はこれまでのレギュラーの個展とちょっと違って
コンセプト重視でいこうと思っていて
副題を「natural colors」としています。

natural colorsとはつまり、天然灰釉の色ということです。
今までもいろいろな灰釉作品を出品していますが
今回はあらためて自分のこれまでの仕事を振り返り、距離を置いて見返すことで
これまでの灰釉それぞれの持ち味をあらためて考え
作品を再構成し、今回のためにあらたに制作した作品と、これまで手元に残してあった作品とで
今までとは違った展覧会を構成しようと思っています。

作家として、ぼくにとっては新しい試みです。

新たに発表の場をいただいたことで、こうして新たなチャレンジをすることができるわけで
天満屋さんにはとても有り難く思っています。
これまで出さずに手元に秘蔵していた椿灰釉や茶灰釉の香合もなんと出品する予定です!
間違いなく面白い個展になると思います。
乞うご期待!



おっと、話が逸れました(笑)。
こうして展覧会自体新しい試みであるわけなので
DM作りも取り組み方が変わってきます。

いつも立木先生にお願いする時は
なにしろぼくには想像もできない引き出しを無数に持っている方なので
ぼくとしてはその時の一番気に入っているものをお持ちして、
立木先生に如何様にも料理していただいて
どんなものが出来上がってくるのかワクワクしながら楽しみに待つ、というスタンスなのですが
(そして必ず毎回思っていた以上の素晴らしい仕上がりで驚きの連続なのです)
今回はUくんと二人で何度も話し合い、テスト撮影を重ねて二人で練り上げていく感じです。

いわばUくんとぼくのコラボレーション。
Uくんにとっても、こういう経験は初めてのことのようで、
とても力を入れて取り組んでくれています。
思っていた以上に撮影の回数が多いのですが(笑)
それも力を入れて頑張ってくれていることの現れと思って、
ぼくも一緒にこのクリエイティブな過程を楽しんでいます。
Uくんにとってもいい刺激になればいいなあ。

ぼくにとっても、14歳も下のUくんには
ネットやソーシャルメディアとの付き合い方等々
教わることが多いです。
ビックリすることも多いですが(笑)。



2010/08/14(土) お盆。


個展前のぼくには当然お盆休みなどはあるはずもなく
汗をかきかき、毎日粘土いじりに楽しく励んでおります。

が、今日は昼過ぎに工房の電話が鳴り
「中野さーん、今なにしてるのー。よかったらうち来ないー?」

ジロウさんからのお誘いのお電話でした(笑)。

親族一同が集まったお盆の席に、有り難くもぼくも誘っていただいたわけで
年に一度のこと、「わかりましたーじゃあ作業切り上げて行きますねー」と返事したら
「待ってるよー。中野さんすぐ来ないと終わらせっちゃうからねー。もうすぐ終わらせっちゃうよー」
すでに超ご機嫌でした(笑)。

これはもう午後の作業はなしだな(笑)、と判断し、
それから30分ほど片付けやなにやらでバタバタしていたらまた電話が鳴り。
「なーにしてんのもう!待ってるんだからねー。
 何にも持ってこないでいいからね。余計な気使うんじゃないよー。
 身ひとつで来るんだよー。すぐねー」
酔っぱらったジロウさんは無敵化します(笑)。
「はいはい(笑)」と急いで作業着を着替え、つっかけを履いて行ってきました。


で、行ってみたら、すっかり宴もたけなわで(笑)
すぐにぼくにお皿を渡してくれて
「どんどん食べなよー。あ、お皿が中野さんの皿じゃなくて申し訳ないんだけども」

ん?これは欲しいっていうことなのかなと思って、試しに言ってみました。
「ああ、じゃあ今度持ってきましょうかー?」
「なに言ってんの!ダメだよダメ。そういうことをしちゃあ絶対ダメ。
 ちゃんと買うから!」
あ、よかった。やっぱりジロウさん、ちゃんとした人だ。

ジロウさんのこういうところ、好きなんですよね。
ぼくも個人作家業をしていると、時々「失敗作でいいからちょうだい」とか
「直なら安くしてくれるんでしょ?」と言われて返事に窮することがあります。
当然ながら失敗作は世に出せないし、
場所によって相手によって値段を変えることもしていません。
こっそり安く譲ったりしたら個展で買って下さっている方を裏切ることになりますからね。

ぼくもジロウさんから丹精込めたお米を譲っていただく時には
農協への卸値ではなく、ちゃんと上乗せした金額を言っていただくようにしています。
たかだか5キロのために、お米専用の冷蔵庫から出して精米機を通して
精米したてのお米を用意する手間をかけてもらうんですからね。

そのジロウさんの新米、今年も8月下旬にはできあがるそうです。楽しみだー♪

ジロウさん、今日はごちそうさまでした!


あ、そういえば10/13の個展初日まであと2ヶ月を切りました。
お遊びはここまで。これからは制作に打ち込みます。



2010/08/12(木) 恩送り。


先日蕎麦猪口作りに来ていた友人からお礼のハガキが届きました。
曰く「ぼくにとっての頼れるアニキのような存在なのだと勝手に思っております」だって!
か、かわいいこと言うじゃあねえか(←無理矢理アニキキャラ?)

もちろんパソコンのアドレスも携帯アドレスも知ってるのに
わざわざハガキで手書きで書いて来てくれる。うれしいですねやっぱり。


ぼく自身、多くの方にいろいろな形で応援していただいて
こうして発表の場もひとつずつ増え
東京でも名古屋でも神戸でも岡山でも、少しずつ応援の輪が広がっていって
制作にひたすら打ち込む生活をすることができています。

その有り難みが本当に身に沁みてわかるので
逆に、これから何かにチャレンジする若者には
「応援したいな」という気持ちが自然に心の中に生まれてくるんですよね。
ちょっと前までは自分自身がむしゃらで、周りを見回す余裕もなかったのですが
不思議なものです。(ん?ただ単に年をとったということか?)


でもこうして自分が受けたプラスの気持ちを次に繋いでいく、というのは素敵なことですよね。
ぼくも自分でそういう感情を自然に持つことができてうれしいです。
ぼくは性善説の単純な信奉者ではないですが、
自分が小さな結節点になって、
まわりにいる人が少しでも幸せな気持ちになれたらいいな、と思います。

そして、ぼくの作る作品達にも、そういう仕事をしてもらえたらいいなあ。



2010/08/8(日) 神戸展ギャラリートークのお知らせ。


神戸展で、ギャラリートークをすることになりました。

いつも応援して下さっているYYさんから先日、
「個展の時になにかイベント的なこともされたらいかがですか?」とリクエストがあって
人前で話をするのは苦手なんだよなーと思いつつ
「じゃあ大丸さんに聞いてみますね」と返信。
でも大丸さんでギャラリートークっていう話はあまり聞かないから
まあ断られるだろうと思っていたらバイヤーさん曰く「ええできますよ」とのこと。

ええーマジですかーと焦りながらも
まあじゃあやってみるか、とやることにしました。

ただ、なにしろ人前で話をすることが大の苦手で今までそういうのは避けて通ってきたので、
どんなことになるのか、見当もつきません。
話がグダグダになってもどうぞご容赦くださいな(笑)。



第3回 中野純 作陶展 「White & Black」(10/13(水)〜19(火) at 神戸大丸)
ギャラリートーク:10月16日(土)午後2時より


2010/08/7(土) 蕎麦猪口作り。


来月、おそば屋さんを開業予定の友人夫婦が昨日から来て
蕎麦猪口を頑張って作っております。

この前、うちで山仕事があったときに蕎麦打ちの腕前を披露してくれて
しかも、北海道山の蕎麦と茨城産の蕎麦粉を2種打ち分けてくれて
味わいがそれぞれに違っていてとてもおいしくいただきました。


お店の場所は埼玉県さいたま市見沼区大和田町。東武野田線大和田駅近くだそうです。
お店が開店したらあらためてまたお知らせしますね。

まあくんがんばれよ〜。


  ○


夕方、友人夫婦を見送ってから
今度はカメラマンの友人を迎えに茂原駅へ。

夜を徹して11月の岡山展のDM撮影をしました。
もうひとりウェブプランナーをしているというひょろっと背の高い金髪の友人を連れてきて
3人であーだこーだ言いながら2回目のテスト撮影。

岡山展はnatural colorsというサブタイトルで
いろいろな灰釉の色合いを楽しんでいただけるような出品内容を考えています。
10月の神戸展とはテーマを変えるので
両方をハシゴしていただいてもそれぞれに楽しんでいただける趣向となっています。
乞うご期待!


2010/08/5(木) 母退院。



今日は白内障&緑内障手術のために入院していた母の退院日。

白内障は近年は日帰り手術も多く、母の手術も重篤なわけでもなかったのですが
無言の「迎えに来い」オーラが電話越しに受話器から漂ってきたので(苦笑)
予定していた制作を前倒しして、前日深夜3時までやって時間をむりやり作って
東大病院まで迎えに行ってまいりました。

東大病院は白内障でも念入りで
入院も7泊8日、手術後も念入りに管理してくれるので安心なのです。
母の場合、商売柄(?)楽譜を読むのに視力は特に大事なので
楽譜を読むのに最適な焦点距離をリクエスト。
手術は大成功で、すっかりくっきり明るくなり、ご満悦でした。
最初は手術日当日だけ立ち会ってくれと言われていたのですが
当日だけでなく結局手術前日の説明と退院も含め、
有言無言の圧力に負けて(笑)3日間通ってきました。
まあたまには親孝行しないとですね。

でもすっかり味をしめたようで
「反対側の眼は○日から入院なのよねー」と、わかってるだろうなと言わんばかりの台詞。
ふええ、ひと月に6日もとられるのですか。
個展まであと2ヶ月なのに!(苦笑)


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